冬季オリンピックをみて考えた 「解説者」と「応援団」
4年に一度のオリンピック。パラリンピックが始まりました。
冬季五輪はいつの間にやら競技種目が増えていて、それに伴い?、日本は連日メダルを取ったというニュースが続きました。
諸般の事情で、いつもより五輪を見る機会があったせいか、気になることがありました。
「解説者」と呼ばれる方が、解説よりも応援に徹する場面が散見されていた気がしました。
個人的に「解説者」は、ルールの説明などをわかりやすくしてくれたり、対戦相手のデータや情報に基づき試合展開の分析をして教えてくれる人というイメージがあります。
応援したい気持ち自体は否定しませんが、役割というものは大事かなと思いました。
解説よりもパッションな応援スタイルを定着させたのは「某サッカー解説者」からではないかと勝手に思っております。
とはいえ、オールドタイプの自分にとっては違和感が残りました。(新人類と言われた世代なのに…)
感情一番、分析二番、賛辞の言葉は大盤振る舞い。
こうした傾向が、「情動に流される選挙」に繋がっているような気がして、ちょっと怖かったです。
いながき孝子

3時の贅沢おやつ
